日本と世界の靴磨きの違い

日本と世界の靴磨きの違い

日本の靴磨きの歴史~靴職人たちの変化

日本の靴磨きの歴史~靴職人たちの変化

前回は日本の靴職人の始まりを「シューシャインボーイ」を主体にお伝えしてきましたが、今現在都内の十数人以外は路上での靴職人のスタイルは見なくなりました。現在で路上で靴磨きを見なくなった理由が大きく二つあるんです。
今回は、今の日本の靴磨きの事情をご紹介しましょう。

 

これまでの日本の靴磨き事情

一つは、1964年に行われた東京オリンピック、1970年に日本中・世界中の注目を集め行われた大阪万博
日本が戦後の復興の象徴として行われた二つの大イベントだが、それに伴い高度成長期を遂げていた日本では、道路の舗装が積極的の行われ、土むき出しの路面が少なくなっていきました。雨の日に、泥だらけに靴がなってしまった営業マンたちが、こよなく愛していたシューシャインボーイも、道が綺麗になるにつれ、靴が汚れること自体が少なくなり利用客が減り姿を消していってしまったのです。これが一つ目の大きな理由。
二つ目は、路上で商売をすること自体が難しくなったとという現実ことです。
公道で商売をするには、警察と市または自治体に許可を取り、営業を行わなければなりません。靴磨きは、戦後の厳しい時代を背景に、特別な許可登録で暗黙の了解だったそう。しかし、60年代を過ぎ経済が安定した頃、日本も落ち着気を見せ、新規の登録自体が難しくなっていきとされています。

 


今の日本の靴磨き事情

現在では、戦後に許可を取ったうえで路上で靴磨きのサービスを行っているベテランがいます。その方が引退したら、路上での靴磨き文化は途絶えてしまう事になってしまうでしょう。
前回もお伝えしましたが、味わい深い技術をもつシューシャインボーイたちのサービスを受けれるのも、あと少しかもしれません。一度足を運んでみるのもいいかもしれません。
しかし、あくまでも路上の靴磨き職人が少なくなったということで、その後靴職人たちは場所を路上のサービスからホテルや百貨店、空港などに変え、路上で気軽にするものから一つの必須サービスとして、姿を変えていきました。


少し寂しい気もしますが、しかしこれは路上で靴磨きの技術を上げてきた少年たちがしっかりと職人として認められた証拠でもあるんです。やはり当時の靴磨き職人もしかり、日本が力強く生きていたこと感じます。