日本と世界の靴磨きの違い

日本と世界の靴磨きの違い

アメリカの独特な磨き上げ

THE SHOESHINE GUILD  大岡辰徳氏

THE SHOESHINE GUILD 大岡辰徳氏

いま世界各地で靴磨きの文化広く、そして根強く形成されていますが、実は技術は日本が最も優れています。
以前ご紹介した長谷川裕也氏は、言わずもがなと思いますが、世界一の靴磨き職人です。
しかし、その長谷川裕也氏が世界一をとった靴磨き方法とは実は元をたどると、米軍から日本に伝わったものなんです。日本に靴磨きの文化を持ち込んだ国、それがアメリカです。
またアメリカには革靴の文化が根強く残っており、革靴の名店「Alden(オールデン)」もアメリカが本店です。

 

アメリカ独特の磨き方

そんなアメリカの靴磨き。それは「アメリカ式靴磨き」とも呼ばれ、通常の靴磨きとは少し違うんです。
その違いは、最後の磨き上げる際のやり方なんだとか。
日本での靴の磨き方は、汚れをしっかり落とす→水分を多めの油分少な目(総合時には少な目)でブラッシングをし、
全体がなじんだら乾拭き。その後時間をかけて鏡面磨きをし、また水量の水で磨き上げ完成。
それに比べアメリカに関しては、汚れ落としは軽めにして油分も水分もたっぷりでブラッシングを数回繰り返したのち、布で擦り込みと「バフィング」とも呼ばれる磨き込方法で磨き上げ、最後にもう一度乳化性クリームを塗り終了。
日本の靴磨きは繊細かつ高いスキルが必要で、鏡面磨きが特徴的です。
それに比べ、アメリカでは豪快な吹き上げ方で、何度もワックスを塗り重ねるため、磨き上げ後は日本の磨きに比べるとマットな仕上がりなのかもしれません。
アメリカは昔から、少し使用感を残すことに文化を見出した国。ダメージジーンズやスニーカーの使い込んだ感を良いととらえる感覚に革靴の磨き上げも反映されているようです。

 


アメリカ式磨き上げか日本でも

ちなみに日本でも大岡辰徳氏が、このアメリカ式の磨き上げの方法で靴磨きをしてます。
大岡辰徳氏は、アメリカ最大のプロの靴磨き職人の団体で、サンフランシスコとニューヨークに6店舗展開するTHE SHOESHINE GUILDの日本唯一のギルドメンバー。アメリカで修業を終え暖簾分けで日本の大阪に店舗を出しました。
アメリカの靴磨きが、日本の靴磨き職人に影響しているのですね。

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THE SHOESHINE GUILD
住所:大阪府大阪市西区新町1-5-7
TEL:06-6599-9434
https://www.the-shoeshineguild-japan.com/


 

世界の靴磨きに影響を受けた日本人

「GAKU PLUS TOKYO」のオーナーの河村 真菜さん

「GAKU PLUS TOKYO」のオーナーの河村 真菜さん

前回お伝えした、女性の靴磨き職人は日本にも存在します。名古屋の「GAKU PLUS」で靴磨き職人として働き、現在は「GAKU PLUS TOKYO」のオーナーの河村 真菜さん。イタリアの女性靴磨き職人の”ロザリーナ・ダッラーゴさん”に、影響受けた日本女性を今回は紹介しましょう。

 

行動力の力

多くのメディアにも取り上げられ働く女性として第一線で活躍している河村さん。
そんな河村さんは大変行動力がある女性靴磨き職人として道を突っ走っていきました。
OL時代に読んだ「イタリア人の働き方」で記載されていたロザリーナ・ダッラーゴさんを知ったことがきっかけに。
子育てをしながら、女性靴磨き職人として独立起業した姿の胸を打たれ、すぐにイタリアに飛んだそうです。
その後、地元名古屋に戻り「GAKU PLUS」へ弟子入りの懇願を半年間続け、その熱意に負けた職人が弟子入りを認め、今や東京で自身の店を持つまでにまりました。その行動力こそが力になり、今の彼女があるのでしょう。

 


学びの力

靴磨きの基本は皮への知識が大事だと学んだのだとか。
また、自身の靴でも日頃から手入れをしているかという質問には、「自分のは15秒ブラッシングしているぐらい、ただその15秒が靴の寿命を変える。そうのような小さいケアが毎日意識して見れるか、靴の事を考えてられるかだと思います」
行動力と共にすごいプロ意識。
そんな河村さんが仕上げる靴磨きは皮としっかり向き合い、30年以上前に現役だった靴をまたはけるようにするほどの丁寧で正確な仕事ぶりです。
きっと靴たちも、河村さんのような方にケアや修理してもらったら嬉しい事間違いなしです。



スーパーウーマンを生み出した「GAKU PLUS」と、河村さん本人がオーナーである「GAKU PLUS TOKYO」のお店を下記にて紹介しますのでぜひ見てみてください

スーパーウーマン河村 真菜さんを生み出した 「GAKU PLUS」
https://www.gakuplus.net/

スーパーウーマン河村 真菜さんがオーナーを務める店 「GAKU PLUS TOKYO」
https://www.gakuplus.net/

 

世界の靴磨き

世界の靴磨き
今まで日本の靴磨き事情を紹介してきましたが、次は世界の靴磨きをご紹介しましょう。
もちろん靴磨きは日本だけの文化ではありません。というより世界が先です。革靴も発祥はモンゴル、そこからヨーロッパをはじめ諸国にわたり現在のブーツや革靴が生まれ、それを磨くというより靴の仕立て屋としてが靴磨きの職人の始まりだと言われています。ちなみにドイツのミシュヘンにある1596年に創業し始め今もなお現存する最古の靴屋さんが「エドワード・マイヤー」。424年も前に靴屋があったので靴磨きの職人も同じぐらいというより靴屋がそのまま仕立て屋をしていたところが多かったそうです。

 

世界の靴磨きの事情

今現在、世界の各地に靴磨き職人は存在します。
その中でもイタリアは特に活発な国の一つです。
周知の事かもしれませんが、イタリアはおしゃれ大国。日本人と違い私服でスーツを着るのが当たり前。もちろんスーツを着るという事は、革靴も履くという事。そうおしゃれ大国イタリアは、革靴大国でもあったんです。
そんなイタリアは靴にまつわる名言もあります。


一つ目は、
「いい靴を履きなさい。いい靴は履いた者を素敵な場所へ導いてくれる」。
この名言だけでもイタリアの人が靴をただの衣服の一つではなく、靴自体と向き合っているのが分かります。
二つ目は、
「靴を見なさい。履いてる人の人格が分かるから」
この名言、お気づきでしょうか?
そう日本のビジネスでも常識でも「靴をみればその人が分かる」というのはイタリアがルーツだったということになります。

 


女性靴磨きの事情

また、イタリアは靴磨き職人が多いのは言うまではないですが、その中には女性の靴磨き職人がいるというのは驚き。
もちろん、男性だけの職業というわけではないたけ居ても当たり前なんですが、日本の靴磨き職人は男性が多いイメージです。
確かに、女性ならではの感性で磨かれた靴は、繊細かつ女性ならではの柔らかさがある光沢をもつ靴になりそうですね。
イタリアの、女性靴磨き職人で有名な人がロザリーナ・ダッラーゴさん。以前はモデルとして活躍していましたが、靴磨き職人として独立。その後、子育てをしながら靴磨き職人としても立場を確立していきました。
国会の近くにあるという事もあり顧客は政治家や女優までさまざま。


ロザリーナ・ダッラーゴさん言わく「誰の靴でももっていらっしゃい」というスタンスで、そんな彼女に魅了された日本の靴磨き職人も多数いそうです。

 

 

日本の中心、東京で活躍するの靴磨き職人

日本の中心、東京で活躍するの靴磨き職人

前回お名前だけ紹介した靴磨きの店舗を今回は改めてしっかり紹介しましょう。
日本の中心で、最先端の靴磨きに洗礼且つ熟練された情熱を注ぎ続ける職人たちの姿を伝えたいと思います。

 

都内で活躍する靴磨き店 BOOT BLACK 「Brift H」

靴磨き業界で、最初に知る名前。それが長谷川裕也氏。
長谷川裕也氏がなぜここまで有名になったのか、それはその靴磨きに掲げた人生にありました。
20代のころにお金がなく、仕事もなく全財産2000円。そこから世界一へとなった長谷川裕也氏。
その功績は数あれど、やはり一番の功績は靴磨きのサービス提供の概念を変えた事だと言えます。
今までは、路上で行ってきたスタイルとは違いしっかり店舗を構え、さらにバーカウンターのような店内の内装に変え、お客様には座っていただく。そして、靴磨き職人はバーテンダーのように立って靴磨きを行うスタイルが確立したのです。
このサービス提供の仕方は、今では靴磨き職人の主流にもなりつつあるが、それに加え世界一の技術。リピーターは後を経ちません。
そんな長谷川裕也氏のお店「Brift H」は東京都港区南青山にあります。
ぜひ一度訪れてみてはいかがですか?

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住所:東京都港区南青山6-3-11 PAN南青山204
TEL:03-3797-0373
公式HP:https://brift-h.com/

 


都内で活躍する靴磨き店 「NICE」

現在の靴磨きのスタイルのバーカウンターでのサービス提供をしっかり守りつつ、靴を磨き上げるだけではなくオーダーメイドのシューズまで手掛ける期待の新生店「Nice」。
2020年4/1日にオープンしたばかりの新規店ではあるが、技術は確かです。
また靴磨きや靴の修理はもちろん、オーダーメイドの製品にも強く、オーダーのシューズを手にすることも可能です。オリジナルで作った靴は、大切にしたいと思うのではないでしょうか。Niceで作った靴を、お手入れしつつ、靴磨きや修理をしてもらえるのは、靴はもちろんお店へも愛着も湧くこと間違いなし。
また宅配・出張サービスもあるので多くの場面できっとあなたの手助けをしてくれます。
その名の通りのサービスを提供している靴磨き店「Nice」は、東京銀座有楽町駅イトシア1階にあります。
靴のことなら、なんでも相談に乗ってくれるNiceに足を運んでみてくださいね。

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住所:東京都千代田区有楽町二丁目7番1号
TEL:050-5807-2355
公式HP:https://www.nice-shoeshiner.com/

 

日本の靴磨きの歴史~靴職人たちの現在~

日本の靴磨きの歴史~靴職人たちの現在~

これまで紹介してきた、日本の靴磨き職人の歴史を見ると少しは流れが分かってきたのではないでしょうか。
激動の日本のなかで、磨き上げてきた「シューシャインボーイ」たち。技術は人々に認められ一つの文化、技術としてビジネスシーンにしっかり頭角を現し、一種のサラリーマンのポテンシャルにもなりました。前回にもお伝えしましたが、高級ホテルに空港にと、もはやデキるビジネスマンの贅沢なサービスにすらなっています。そこから、現在ではさらに新たな展開を見せているので、ご紹介しましょう。

 

店舗型サービス

新たな展開を見せるのは、店舗型サービスの提供スタイルです!
今までも、各施設の屋内営業をしていましたが、あくまで施設の一角にあるので、やはり利用客は宿泊している人や、空港で時間を持て余してる人、ホテルの利用客など限定された顧客にしか提供できていませんでした。
それが現在はオフィス街の中、商業施設にしっかりとした店舗を構え、路上で行っていた靴磨きとは一変し、他のお客さんや、通行人の目に留まることなく利用することができるため、利用のしやすさが増し、新規の顧客の確保が可能となったのです。

 


靴磨き店のサービス

現在の靴磨き職人の第一人者として、BOOT BLACK JAPANを立ち上げ、現在の日本に合わせた店舗づくりを実現した長谷川裕也氏の名があげられるています。
そのスタイルはさらに日本の靴磨き職人の職業としてのステータスを底上げしました。
それが現在のバーカウンタースタイルでの靴磨きのサービス提供。
それにより、職人が跪いて行う靴磨きから、バーテンダーがグラスを磨くかの如く、高級感あふれるサービススタイルへと変わっていったのです。さらに、その技術の向上は著しく今現在では、選手権大会まで行われているほどになりました。
次第に、店舗型と一緒にネットのみでやり取りをし、店舗に行かなくても靴磨きを受けることができるシステムも主流に。気軽に、プロの職人に靴磨きを依頼できるようになりました。
特に都内では多くのお店がネットでもサービスを受けれる形へと変わっていきました。

 


長谷川裕也氏のBOOT BLACK JAPANをはじめ都内のいくつかの店舗を次回紹介しますので、ぜひご参考までにご覧ください。

バースタイルの先駆けBOOT BLACK JAPAN
https://bootblack.jp/

バースタイルに加えネットでの受注、オーダーシューズでも人気 NICE
https://www.nice-shoeshiner.com/

店舗型のなかで昔のスタイルを守る Shoe Shin WORKS
http://shoeshineworks.com/

 

 

日本の靴磨きの歴史~靴職人たちの変化

日本の靴磨きの歴史~靴職人たちの変化

前回は日本の靴職人の始まりを「シューシャインボーイ」を主体にお伝えしてきましたが、今現在都内の十数人以外は路上での靴職人のスタイルは見なくなりました。現在で路上で靴磨きを見なくなった理由が大きく二つあるんです。
今回は、今の日本の靴磨きの事情をご紹介しましょう。

 

これまでの日本の靴磨き事情

一つは、1964年に行われた東京オリンピック、1970年に日本中・世界中の注目を集め行われた大阪万博
日本が戦後の復興の象徴として行われた二つの大イベントだが、それに伴い高度成長期を遂げていた日本では、道路の舗装が積極的の行われ、土むき出しの路面が少なくなっていきました。雨の日に、泥だらけに靴がなってしまった営業マンたちが、こよなく愛していたシューシャインボーイも、道が綺麗になるにつれ、靴が汚れること自体が少なくなり利用客が減り姿を消していってしまったのです。これが一つ目の大きな理由。
二つ目は、路上で商売をすること自体が難しくなったとという現実ことです。
公道で商売をするには、警察と市または自治体に許可を取り、営業を行わなければなりません。靴磨きは、戦後の厳しい時代を背景に、特別な許可登録で暗黙の了解だったそう。しかし、60年代を過ぎ経済が安定した頃、日本も落ち着気を見せ、新規の登録自体が難しくなっていきとされています。

 


今の日本の靴磨き事情

現在では、戦後に許可を取ったうえで路上で靴磨きのサービスを行っているベテランがいます。その方が引退したら、路上での靴磨き文化は途絶えてしまう事になってしまうでしょう。
前回もお伝えしましたが、味わい深い技術をもつシューシャインボーイたちのサービスを受けれるのも、あと少しかもしれません。一度足を運んでみるのもいいかもしれません。
しかし、あくまでも路上の靴磨き職人が少なくなったということで、その後靴職人たちは場所を路上のサービスからホテルや百貨店、空港などに変え、路上で気軽にするものから一つの必須サービスとして、姿を変えていきました。


少し寂しい気もしますが、しかしこれは路上で靴磨きの技術を上げてきた少年たちがしっかりと職人として認められた証拠でもあるんです。やはり当時の靴磨き職人もしかり、日本が力強く生きていたこと感じます。

 

日本の靴磨きの歴史

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一つ、質問です。靴磨きをされた経験はありますか?
靴はその人を表すというのはビジネスシーンでもよく知られている常識です。
仕事ができる男ほど、相手の靴を見るというのも過言ではありません。
靴磨きの歴史は深く日本では、第二次世界大戦終戦後に多く靴磨きの職人が街にあふれていたそう。この時代に、”シューシャインボーイ”と呼ばれる靴磨き職人が生まれました。今回は、靴磨きが普及したことについてご紹介しましょう。

 

靴磨きの歴史

靴磨きのはじまりは、戦争孤児の少年たちが、その日を一生懸命生き抜くための生活を支える仕事でした。
最初は名古屋駅周辺が盛んで、当時の商売道具の一つである足置き台を枕にして駅構内で寝ては、朝になったらまた仕事をするというサイクルで靴磨きがおこなわれていたんだとか。
この利用客が足置き台に足を置き、跪いて職人が靴磨きを行うスタイルは、戦後の靴磨きの業務形態となっていました。
しかし、このシューシャインボーイのおかげで、靴磨きは子供のお手伝いの定番だった「家事」の枠からはみ出し、高度な技術や知恵が多く生まれ、上質なサービスへと変わっていったとされています。


靴磨きの確立

いつしか「靴磨き職人」という立ち位置を確立し、今現在も靴磨きの文化が根強く残っています。この根底には戦後を力強く生き抜いたシューシャインボーイのおかげであることは間違いないでしょう。
未だに靴磨きと言えば、シューシャインボーイのイメージを持ってる人は、今でも少なくないのではないでしょうか。
ちなみに、この戦後のシューシャインボーイは今現在も都内に十数人存在します。
ビジネスマンが、昔も今も変わらず多くいる東京駅や日本橋、新橋、上野を中心に昭和20年から靴磨き一筋で生き残ってきた職人の技が今も残っているのは感慨深いものです。
また時には、日本の変化や成長を昔から足元を通し見てきた彼らは「生き証人」としても、歴史の語り部のようにメディアに取り上げられることもあるようです。

 

そんな味わい深い技術をもつ、シューシャインボーイたちのサービスは高齢化も進み貴重なものとなってきています。機会があれば、一度路上での靴磨きを体験してみてはいかがでしょうか?そこには最高のプロの職人の技術があるはずです。